哲学 × MBA
MGSMの必須科目には、「Philosophy」(哲学)が含まれています。最初はMBAで「ビジネス」を学びに来たのに、何で哲学なんて訳の分からないものを学ばなければいけないのか?と思っていたのですが(多分多くのMGSMの生徒も思ったはず)、最近は徐々に面白い!と思えるようになり、この前気がついたら自ら哲学の本に手を伸ばしていました。ここでは何を学んだのか?そして「哲学×MBA」で何が生まれるのか?というテーマで少々私の考えを述べたいと思います。
40時間の講義で学んだ哲学の内容
まずはじめに、私がどんな講義を受けたのかを簡単に紹介したい。基本的な流れは講義毎に異なる哲学者について教授が講義し議論を深めます。授業で主に取り上げられた哲学者は、時代的に古いものから順番で、ホーメロス(ホメロス)、プラトン、ニッコロ・マキャヴェッリ、ルネ・デカルト、デイヴィッド・ヒューム、アルトゥル・ショーペンハウアー、フリードリヒ・ニーチェ、ジャン=ポール・サルトル、そして哲学者としてのピータードラッカーなど。これに加えて、全生徒が6つのチームに分かれたうえで、トマス・ホッブズ、アルトゥル・ショーペンハウアー、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクス、カール・ポパー、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの中からそれぞれ1チームに1人の哲学者が割り当てられ、彼らの生涯、哲学の内容、短所と長所、マネージメントへの適応性などについて教授に代わり講義中にチームでプレゼンする時間もあるため、40時間の講義全体ではかなり多くの哲学者の考え方などを極めて短時間で学ぶことになります。基本的に、各哲学者の基本的な考え方や時代背景は予習をしていくのが前提なので、講義では本当に細かい内容までを扱うと言うよりは、哲学者同士の関係やそれがマネージメント(ビジネス)にどう生きるのか、あとは教授の雑談的なものが多くを占めます(一番多いかも)。
(ドイツの哲学者「ショーペンハウアー」についてプレゼンする筆者)
さて、全体を通して「何を学んだのか」について答えるためには、どうしても「そもそも哲学とは何か?」から答えないといけません。哲学とは、万人に共通のする問題、例えば「世界はどのようにできているのか?」「人間とは何か?」「神は存在するか?」「社会はどういったものか?」を探求するものです。それぞれの時代時代で、信仰や科学技術のレベルは異なるため、それぞれの哲学者が追求したものも異なります。大きな時代的な流れで言えば、哲学が対象とした問題は、「世界・自然」、「神」、「人間」、「社会」という順番で変化してきました。ちなみに「哲学」というと、人生論である「人間とは何か?」や「いかに生きていくべきか?」みたいものという印象を持っている人も多いかもしれないが(もちろん哲学にそういう面もあるのは事実だが)、それだけではないのも事実です。
哲学する対象の変化とは「時代の変化」
成績の40%を占める期末テストのため、各哲学者の考えをまとめないといけないので、勉強の中心はどうしても哲学者の各思考などにいきがちだが、私が一番面白と感じた「哲学の見方」は、先にも述べたような哲学の対象の移り変わりに着目することである。例えば、ルネ・デカルトは、それ以前の「中世」にあった「キリスト教」が大前提とした世界的な考え方:なぜ「空は青いのか?」の答えは、「神が青色に創造したから」に終始していた時代から自然科学が台頭し、キリスト教自体も絶対的なものではなく、ローカルな宗教の一部に過ぎないという認識が生まれてきた時代背景の中で、キリストに代わる「本当の」答えを見つけようと努力した。その過程では、あの有名な「I think therefore I exist (我思う、故に我あり)」が生まれる。つまり神が考えたからではなく、私自身が考えたから、私が存在しているのだと。さらに、ニーチェの「God is dead (神は死んだ)」によって、ココロの世界は否定され、現在の我々の思考に近いモノ(物理的なもの)の中心に世界を見る考え方、つまり「近代」という時代を迎えることになった。つまり、哲学を勉強することは同時に、その時代における解決すべき問題点が明らかにし、それぞれの哲学者がその当時持ちうる知識や知恵などを最大限駆使し、どのように回答に挑んだのかのプロセスを勉強することである。このプロセスは、MBAが得意な、有能な経営者の手腕をケーススタディーという形で勉強することに極めてよく似ている。そしてさらに面白いのは、結果として出てきた解答が異なっていても、それを導く思考プロセスや考え方は、しっかりとそれ以前の哲学者のそれが踏襲されたり、深く活用されたりしていることである。まとめると、何について考えるのか?という対象は時代ごとに異なるし、その結果出てきた解答も人によって異なる(そもそも正解があるかも分からないので問題ない)。でもその考え方は、以前の考えをベースに進化しているということである。多分それが哲学が学問という体系として扱われている理由だろうと思う。
「哲学 × MBA」の意義
さてMBAに話を戻そう。MBAの目的は「時代が変化するなかで、適切な意思決定ができるリーダーを短期間に育てること」であった。哲学は、「時代が変化する中で、普遍的な課題に答えを出すこと」である。哲学とMBAが違うのは、それをビジネスで生かすかどうかくらいで、両者がかなり近いことが分かる。そして、今私たちの世界も大きな変化に直面していることは言うまでもない。少々思いつくだけでも、人工知能による人の知能を超えた存在の誕生、遺伝子工学によるゲノム編集、SNSなどが作りだす新たな社会や政治、仮想通貨の誕生などなど。これらをどうすべきか、どうなるべきかを考えることは、おそらく「哲学する」ということだろう。今や哲学する対象は、キルスト教の存在を哲学していた頃より、今の方がむしろ拡大しているかもしれないと思えてくる。MBAは、これらに回答を出すこと自体が目的ではないが、これらの変化に対してどう対応すべきか、どうビジネスとして成り立たせるのか、どうやって会社存亡の危機から抜け出すのか、を考えるという意味において近しい。そして、現代の哲学者の考えを知ることは、目的達成を効率化するのに役立たないはずはない(と思う)。最近読んだ「いま世界の哲学者が考えていること」(岡本裕一朗著、ダイヤモンド出版)という本を見ると、今の哲学の対象には「人類は地球環境を守らなくてはいけないのか?」や「資本主義は21世紀でも通用するのか?」、「IT革命は人類に何をもたらすのか?」という、まさにビジネス誌 The Economist に載っていそうな問題も取り上げられていることが分かる。MBAこそ、ビジネスという視点で哲学を活用すべきものだろう。